年の瀬に想うこと
終わりよければ全てよし!にしたいので、ポジティブ記事で終わりにしたかったけれど、今年最後のブログだから本音で。
ろうのお子さんを立派に育てられた健聴の先輩母に、三女が補聴器を嫌がってなかなかつけられない云々を相談させてもらったら
危険な音、例えば車が近づいてくる音などをキチンと教えなければダメ!命を守ることが第一でしょ?
というふうに言われた
とにかく頑張りなさい!って喝をくれるためのアドバイスだと頭では分かってる
けどね
そんなこと言われなくたって分かってる
聞こえようが聞こえていなかろうが、親ならわが子の命は守りたいのは当然のことだもん
何度も何度もそこにしがみついて、つけられるようにモチベーション保ってたんだもん
でも結局ポキっといっちゃったけどね...
ろう教育に完璧な人からのアドバイスだったので、余計に劣等感を感じてしばらく立ち直れなかった
もちろんその人に非はない
私の気持ちの持っていきかたの問題
私は何のために三女に音のある世界を教えたいのか?
危険な音を教えることももちろん大切だけど、それ以上に音の楽しさを知って欲しい
私たちが聞こえてる音と同じように聞こえてないけれど、とにかく楽しいと思ってくれたら補聴器に歩み寄ってくれるんじゃないかって。
音は怖いものって植えつけたくない
楽しさや喜び、感動を共有することが、一緒に頑張れる大きな道だという想いに辿り着いたから
あるお子さんは、本当は補聴器が好きじゃないんだけどちゃんとつけてて。
つけないとお母さんに怒られるから仕方なくつけているんだって
それを聞いた時にハッとしたし、何とも言えない締めつけ感で心がどうにかなりそうだった
補聴器は誰かのためにつけなくちゃいけないものなの?誰かの顔色をうかがうものなの?
そうじゃないよね?自分のためにつけるものだよね!
三女を見れば一目瞭然で、補聴器なんか要らないって言ってる
それだけでもう答えは出てる
なのにスパッとやめられず、未だにズルズルと先送りのまま年越します
何度もグズグズ言っててすみません
ある方のブログを読んでいたら、今の私にドンピシャでガツンときた言葉が書かれていらのでちょっと拝借させていただきます。(ご本人の言葉そのままじゃなくて、私なりの解釈で記します)
ひとつは
《必要な支援なのに、嫌がるからってしないことは、のちのち本人の為にならない》
もうひとつは
《泣くのを無理矢理やらせていたけれど、今となっては、強要せずにただただ甘えさせてあげればよかった》
正反対な意味合いを持っているけれど、どっちにも共感できるし、そうありたいと思う言葉
私はどこに向かうのかな?
もしも明日育児ができない状況になったとしたら、私は何を望むのかな?
きっと家族の辛そうな姿や泣き顔じゃなくて
思わずつられちゃうほどの
ケタケタ元気な笑い声と
はちきれんばかりの笑顔だろうな♡
自分がどうこうより
相手が幸せならばそれが一番なのかも
それが私の喜びにもなるはず
ですよね?(๑˃̵ᴗ˂̵)
色んな感情ひっくるめて
来年も良い年にするぞ╰(*´︶`*)╯♡
こんなぐだぐだ長文ブログにお付き合いくださり、ありがとうございました(*^^*)
皆さまも良いお年を♬
0コメント